野宮さんと初めてお会いしたのは、今からかれこれ30年まえか…
当時僕がやってたバンド、スマッシュヒッツの東京ツアーで
新宿ACBに出演した時の対バンが野宮真貴さんだった。
その頃の東京は、かなり刺激的で関西人の僕らには、
何を見ても感動したものでしたが野宮さんの眩しさは、
いきなりクラスに東京からお嬢様が編入してきた感じで
結局最後まで一言も口をきかずにお別れしたのでした。
その次に、お会いしたのは、3年後僕がFM大阪で
僕の勝手でショーと言う番組をやったとき
ゲストでポータブルロックでやってきてくれたのです。
(ちなみに第一回目のゲストは、ピチカート・ファイヴの皆さんでしたが…)
その時も眩し過ぎてインタビューの原稿以外は、お話し出来ませんでした。
その次に、お会いしたのは、田島君時代のピチカート・ファイヴを
初めて京都に呼んだ時コーラスで野宮さんが参加されてたんですが
その時やっと挨拶出来たような‥
そしてその後に正式にピチカート・ファイヴに参加され
ようやく楽屋で挨拶以外の世間話を交わせるようになったのですが、
私自身のバブル崩壊が起こり音楽活動を余儀なくされ
9年間音楽活動を停止したのでした。
それでも1999年にようやくバンビーノを結成し復帰を目指し頑張って
アナログ「すっ飛びヒロシ」を作り上げ裸一貫で東京にプロモーションに出かけ
渋谷の青い部屋に行ったところ出演がウィウィの野宮さんだったのです!
僕は、いてもたってもいられず楽屋に行きアナログレコードを渡したんですが
『作ったんで聴いて下さい』。とかなんとかしか話せなかったんです、またしても眩し過ぎて…!?
それから約一年後になんと京都のワールドってクラブにウィウィが来るっていうフライヤーを見て
行ったのですが想像を絶する客入りと9年ブランクがあり
初ライブを控えているもののあまり自分の音楽に自信がない為 顔を出さないで帰ろうと出口に行きかけた時フロアから聞こえてきたのは、僕の歌声でした!
急いで見に行ったら野宮さんがかけてくれててフロアは、大盛り上がりでした。
その光景が僕のエネルギーになりこうしてバンビーノも13年続けられたのは、
言うまでもないです。そしてこうして考えると野宮真貴30周年は、僕の音楽史でもあるわけで、
今こそ野宮さんにおめでとうとありがとう!を心を込めて言いたいところなのですが、
相変わらず眩しい過ぎるので面と向かって言えないだろうなぁ…
そんな思いでコレを企画しました。
http://ban-hiroshi.blogspot.com/みんなで素晴らしい夜にしましょうね♪
お待ちしてま〜す!
バンヒロシ